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まあ、2年も続ける2ch中毒者みたいなもんだ(笑)
スカパーの某実況スレに常駐してて、その実況民の方ともオフ会で何度も会ったもんだから親しみから書き込みを続けているのだ。
しかしだ。
昨年の大晦日から規制されて書き込めない。
1月7日から解除されたが、1月12日から今現在も規制中である。
2008.01.19 土 00:27.53.
>620
管理人より規制継続やむ無しの判断が出ました。
このような結果になってしまい大変残念です。
先方に厳しい措置が出来ないか再度要請します。
これは2chの規制された俺と同じサーバーであるDIONユーザーの集まるスレ(DION規制喰らった奴の溜り場6)で見つけたものである。
規制の延長決定らしい・・・これが本当なら「絶望した!!」と叫ぶしかない。
別の手段として携帯電話で書き込みも出来るが、非常にやりづらいし、実況のリズムに乗れないのだ。
常駐のスレでは携帯電話での早い書き込みをする猛者が居るが俺には無理だ。
こうなると「たまには実況しなくても良いじゃん」とも言える。けれどもどこか淋しさを感じずにはいられないもんで、馴染みの場所と化したから隔絶されるのがね・・・。
にしても、この長い規制は2chをやっていて初めてだ。前述の運営の方からと思われるコメントを見ると、さすがに腹が立つもんです。5日だけ規制解除して後は少数の荒らしによって大部分が納得のいかない迷惑を被る。それに今回は年末年始に規制するという異常事態を今日も、これからも引きずるのである。
ある意味。規制は荒しをかまう格好になってないかとさえ思える。なんとなく、規制されたDIONユーザーの書き込みを見て荒しが笑ってるんじゃないかとさえ思える。
もう、運営さんも意地にならんと荒らしはスルーで対応してくれよ。全サーバー規制。つまり、誰か知らない荒らしの制裁を連帯責任で長期間受けるのは納得できるハズがないではないか!
いや~今年は不快なる始まりですよと愚痴ってみる。
例によって2ちゃんねるのATX実況スレのオフ会の為に。
12月28日午後6時前。会社から直に西高屋駅に向かい、電車で三原まで移動。そこから高速バスに乗り東京へ。
にしても、バスの揺れは毎回じっくりとは寝させてくれない・・・。まあ、安さの代償だろうけど。
29日午前7時。新宿駅前到着。到着前に新宿の都庁舎などの高層ビル群を初めて見る。やはり画像で見るより迫力がある。「あ~ここでゴジラがスーパーXとメカキングギドラと戦ったんだね~」と感心しつつ、新宿駅から山手線で秋葉原へ。そこの駅のロッカーに荷物を置いて、再び山手線で新橋駅へ。新橋からゆりかもめで国際展示場駅に。3度にもなるとお決まりのコースだ。
コミケ第1日目のこの日。3日目ほどではないが、かなりの列が形勢されている。午前10時からの始まりであったが、11時前で入場出来たほどだ。
このコミケではATX実況スレのメンバーである毎週壱号○さんと25苺さんが出展していた。2人に挨拶。
それからミリタリー同人を求めて歩く。それにしても、アニメやゲームのコスプレの間にドイツや旧軍・ソ連の軍服などがひしめく様はコミケならではだ。
サークル「つく突く法師」で初めて同人誌買う。少しまとめて買ったせいか「では、新刊の桜花も付けましょう」と紺の旧海軍略帽を被ったお兄さんが気前よく渡したのが印象的だった。あれは、こがしゅうとさんなのかな?
時間が昼となって25苺さんと共に有明からオフ会の待ち合わせである秋葉原へ。りんかい線から山手線を乗り継いで少し遅れて到着。腐女子部部長さんとプリムラさんと会う。
まずはお腹が空いたのでメイド喫茶へ。夏と同じく「カフェ・メイリッシュ」で。ガーリックスパゲティがなかなか美味でした。
ここでプリムラさんからロシア新型戦車の情報を得る。何やら無人の自動砲塔を作るようだ。
軽い腹ごしらえと会話を終えると歩いて上野のパセラへ。そこで毎週さんとA実況組@DVDさん・名無しBP(2)さんとも合流。熱いカラオケを展開した。(みなみけOP「経験値上昇中」のノリは最高だった(笑))
午後7時にカラオケがお開きになったが、苺さんはバスに乗るまで時間があると言うので秋葉原のバーで飲む。
それから25苺さんと別れ、途中までプリムラさんと電車に乗り一晩の宿である腐女子部部長さんの所へと向かう。酒を飲みながらATXを見て、プリムラさんが地上波深夜の実況が伸びると言う「かわいいジェニー」を視聴。
「・・・・・・・・・・なんじゃこりゃあ~!」
2人一致の意見。内容はリカちゃん人形で怪獣の出る特撮でした。出演声優に桃井はるこ・小林ゆうが出ると聞いて見ていたが・・・まあ、よく企画が通ったモノだと(笑)
翌朝は正午に部長さんの家を後にして東京駅から新幹線に乗る。にしても東京駅は帰省の人達で溢れていて田舎モノのおいらはビックリだよ。
初めて新幹線の切符を購入する。自由席で三原駅まで。いざ、ホームに行くと長蛇の列。それに並ぶ。
理想としては博多行きの「のぞみ」に乗って福山駅まで行くつもりだったが、すぐに座る席が埋まる。待つのが嫌だと思い、出入り口近くで立つ事にした。
それが運の尽きであった。誰もが待つのが嫌な様で立っての乗車をする客が多い。すぐに俺の周りも人で埋まる。名古屋駅から新大阪駅までが最高に辛かった。隙間が無いほど人がすし詰めになる。身体は直立に固められる。そんな苦しみを3時間過ごして福山駅に。乗り替えた「こだま」でようやく座れた。三原駅で降りて迎えに来た姉の車で東広島に帰る。こうして濃い2日近くの旅を終えた。
苦しさもあったが、とても楽しい旅でもあった。
昨年は2度も東京に行き、当ブログも始めて有意義な一年でした。
けれども、ここで書いてる小説が完結出来なかった事が心残りです。
ちなみに今日初詣に行った神社で引いたクジは吉だった。
今年も無事に満足な一年でありたい。
NHKのスペシャルドラマとして司馬遼太郎原作の「坂の上の雲」がクランクインしました。
「坂の上の雲」は秋山兄弟(秋山好古・秋山真之)を主人公に日露戦争を書いた作品である。
原作は読んで無いけど、「日露戦争」がドラマで見れる事に期待しているのですよ。(戦闘や戦略のシーンがちゃんとあるか疑問が大きいけど・・・)
映画「二百三高地」で日露戦争に興味を持った自分としては少し心配ながらも期待が大きいのだ。
さて、主人公の秋山兄弟だが。
兄の好古は陸軍の騎兵将校とで日露戦争では第一騎兵旅団を率いて黒構台攻防戦を騎兵でありながら防御戦を戦い抜き、永沼挺身隊と呼ばれる長距離の後方攪乱部隊を送り込む活躍をした。
顔つきとヒゲからドイツの軍人メッケルにそっくりと言われ、酒豪でもあったが、それで重度の糖尿病になってしまったという。
弟の真之は海軍に入り、日露戦争では連合艦隊作戦参謀となり日本海海戦ではロシア軍バルチック艦隊を迎え撃つ作戦を立案し、「天気晴朗なれども波高し」の連合艦隊出撃における名文を残している。
晩年は仏教や神道などの宗教研究を行い亡くなる前までに般若心経を唱えていたという。
まさに日露戦争を語る上で重要な場面に居たこの兄弟。ドラマとしては良い題材であろう。
だが、果たして黒構台や日本海海戦は上手く描かれるのだろうかなあ・・・
11月4日に海田市駐屯地で行われる記念行事に行って来ました。
車を止められる場所が海田市には無いので電車で海田市へ向かう。
第13旅団の司令部がある海田市で行われるこの記念行事は旅団の創設を記念する行事でもあるから旅団の各部隊が一堂に集まる(旅団全員では無いが)
駐屯地に入ると式典と観閲行進に備えて隊員と車両が準備されている。その光景を見るのも結構好きだ。小銃を担ぎ隊列を組んで入場者の間を行進する隊員達。そして部隊長から指示を受ける様子。車両も部隊ごとにまとまって待機し、隊員達が点検をしている。その動く光景がとても新鮮なのだ。
ある程度それらを見回ると観閲行進と模擬戦を見るための場所取りに向かう。幸い模擬戦では良いポジションの最前列の場所を確保した。だが、式典の時間が近づくにつれて次々と来る来客の人達にサンドイッチとなった。今回は親子連れとお爺さんに・・・。
式典を前に旅団の各部隊が徒歩で入場する。部隊長とそれぞれの職種(兵科)ごとに色が違う隊旗を先頭に各隊が入場し、整列する。その場に旅団の4分の1の人数である1000人が並ぶ様は壮観である。
観閲指揮官の佐藤修一旅団長と国旗の入場で式典は始まる。
旅団長の訓示に続いて来賓の挨拶として今年の参議院選挙で当選した佐藤正久氏が来ていた。佐藤議員は元は陸上自衛隊の自衛官だった。「ヒゲの隊長」の愛称でイラク派遣の先遣隊と第1次復興支援群の隊長だった人である。
挨拶では「これかも国会で自衛隊の問題を改善していく所存です」という風に熱く語っていた。
更に自民党と公明党の議員の挨拶が終わると式典に来た来賓の名前を読み上げて観閲指揮官と国旗・整列していた隊員の退場で式典は終わる。
続いて第8普通科連隊隊員によるラッパの演奏(起床や昼食などの合図)。第17普通科連隊の隊員による和太鼓の演奏を前座に車輌の行進が始まる。
旅団本部管理中隊を先頭に各種装甲車や高機動車やトラックに隊員が乗って行進する。今年は第23次ゴラン高原派遣隊を第13旅団が勤めた事もあり、青いベレー帽を被った隊員がゴラン高原派遣部隊として式典に臨んでいた。
陸自の車輌はどれも良いが。やはり戦車だ。唸るエンジンとキャタピラ響かせて進む無骨な車体。それが73式装甲車1両も連れて4両の74式戦車が進む様は毎度感動を禁じ得ない(笑)
車両に続いて航空機の行進だ。第13飛行隊のUH1輸送ヘリ2機・OH1観測ヘリ1機と第5対戦車ヘリコプター隊と思われるAH1コブラ対戦車へり1機が編隊を組んで飛ぶ。また、防府基地の空自練習機。美保基地のC1輸送機が飛来した。
第1空挺団からの3名による空挺降下の後に音楽隊による演奏が行われる。曲目はチャイコフスキーの1812年である。この曲は大砲を使う演奏であるから音楽隊の背後で第13特科隊が105ミリ榴弾砲M1013門を準備。3度の空砲発射と、最後の一斉射での締めをおこなった。13旅団としては初めての事だそうだ(俺も初めて聞いた)
演奏に続いて模擬戦だ。
観閲行進にも使われた広場(?)の右端にある丘を敵が占領したとしてまずはOH1で偵察。それからUH1で空挺を敵の背後に下ろす。バイクと87式偵察警戒車がさらに敵を偵察する(87式が20ミリ機銃を撃っていた)偵察の情報から特科が射撃。(弾着を花火を投げて演出していた)だが、敵は戦車を出して抵抗。これにAH1コブラが出撃して撃破(赤い煙幕出して撤収)さらなる反撃として74式戦車の戦車隊と対戦車隊が出動。これにまた敵は戦車を出す。(この時に12.7ミリ重機関銃の空砲射撃をしていた目の前であったから迫力が凄い)しかし、自衛隊の戦車でまた撃退される。更に施設科が進路を開拓し、(鉄条網を引き込む)火炎放射器で敵の陣地を焼き払い(木と紙で作ったであろうドングリみたいなもの)普通科が前進して射撃。そして戦車が突撃、敵陣に踏み込んで状況終わりとなった。(この時に丘をロシア戦車みたくジャンプ!)
模擬戦が終わると装備展示を見に行く。展示の会場に向かう74式戦車が来客者の間を縫って戦車の前での上官の指示で車体を少しづつ動かし方向転換する様は戦車を動かす苦労を感じる。
また、155ミリ榴弾砲FH70が自走して展示場に入り、隊員4名で固定脚を広げて砲を回し調整する姿は貴重な場面だ。また、展示場の近くでは78式戦車回収車が整備のクレーン車を使いドーザーの爪を車体前面から外し、後部に置く作業が見れた。クレーンで吊し、動かす時も「ストップ」「ちょっと巻いて」と微調整を何回も繰り返していた。これは今まで見た事が無く本当に珍しいものだ(けど、その自衛官にとっては当たり前の事なんだろうけど)
今回は目新しい装備は無いが、改造があった。偵察隊の87式偵察警戒車の砲塔後部に戦車と同じ金網の置く場所が設置してあるのだ。1両だけ。
元々無い仕様を不思議に思い偵察隊の人に聞きました。
葛城「あの部分。(砲塔後部を指す)新しいですね。あれは何ですか?」
偵察隊「あれは戦車と同じで物を置くんですよ。車内じゃ不便ですから」
葛城「なるほど。これは要請して取り付けたのですか?」
偵察隊「申請してもお金のかかる事は通りません。これは小隊独自で作ったんですよ。小隊でお金を集めて」
葛城「そうだったのですか・・・あれは整備科で作られたのですか?」
偵察隊「いえ、小隊には器用な人が居るのでその人が」
葛城「それは凄い」
なんとも涙ぐましいです。前に雑誌で見た89式小銃にグリップを付けるために自費でグリップを買っていたのを思い出したよ。職場改善はなかなか難しいようです。
(今回はデジカメで色々撮影してこのブログに載せようかと思ったんだが、画像が大きすぎて登録出来なかったよ・・・)