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(↑演習で01式軽対戦車誘導弾を構える陸自隊員)
岩永亮太郎原作「パンプキン・シザーズ」の主人公ランデル・オーランド伍長は対戦車部隊に所属した兵士と言う設定である。「保身無き零距離射撃」「命を無視された兵隊」とオーランドにまつわる伝説は恐ろしく勇ましいものである。原作やアニメを見ると生身の人間が戦車に挑むのは超人的なものだと思わせるものだ。しかし、現実世界では私達のお爺さんの世代が生身で戦車に挑む戦いをしているのである。今回は「パンプキン・シザーズ」がスカパーで放送されているのを機会に歩兵による対戦車戦闘を特集する。
戦車と歩兵の戦いは第1次世界大戦から始まった。
1916年9月15日のフランス、ソンムに現れたイギリス軍の新兵器「戦車」(マークⅠ)は運用方法が確立されていない為に成果を残す事は無かったが、戦車と初めて対峙したドイツ兵は装甲で固めたボディの戦闘機械に恐怖した。西部戦線異状なしでは「この戦車という奴は何よりも戦争の恐ろしさそのものに見えた」と形容された戦車にドイツ兵は最初こそ陣地を放棄するなど混乱をきたしたが、生まれたばかりの戦車は想像以上に脆いこと(通常の銃弾でも装甲が貫通する防御力の弱さやキャタピラが故障するなど)を知るとドイツ軍は歩兵に戦車狩りを行わせた。
「戦車を撃破または鹵獲した将兵はその名を公式戦報に記載するとともに叙勲する」
1917年8月21日には参謀次長のルーデンドルフはこう公布した。
歩兵が戦車に立ち向かう武器としてまずは7.92ミリ口径のモーゼル銃(Gaw71やGaw98小銃)にタングステン鋼の弾芯がある特殊弾薬(SmK弾)を使用させた。元は長距離の狙撃に使われるSmK弾は装甲が薄いマークⅠには効果があり、機関銃用にもSmK弾は配備されたがイギリス軍はすぐに装甲を強化したマークⅣを投入した。しかし、ドイツ軍も口径13ミリのM1918対戦車銃を開発して実戦に出すなど戦場での盾と矛のシーソーゲームが始まった。
また、戦車攻撃には砲兵が野砲での直接照準射撃を行った。歩兵は砲兵が投入できない場合の為に拠点に配備された。これらの歩兵は対戦車攻撃訓練を行った者達である。戦車と戦う時はそれぞれの装備を持ち戦車に挑む。
SmK弾による小銃や対戦車での射撃に戦車へ直接攻撃する歩兵が蟻のように群がる。彼らはカナトコや銃剣で戦車の開口部をこじ開けて内部に銃撃を加える。またはダイナマイトなどの梱包爆薬をキャタピラや車体後部に置いて破壊する。それに手榴弾の弾体を束ねた集束手榴弾や火炎瓶も用いて戦車の破壊が行われた。また、破壊した戦車の天井から黄燐手榴弾を投げ込んで戦車の乗員を窒息させるなどの戦術で歩兵は戦車と戦った。
これら戦闘機械との白兵戦は戦車と歩兵の連携が出来ていないからこそ出来た戦術であった。(この辺りがパンプキンシザーズでの題材になったのだろうか?)
歩兵によるこれら決死の戦車狩りと砲兵が野砲での直接照準射撃でドイツ軍上層部は戦車への対応策は完全だとした。それは1917年11月のカンブレーの戦いで英軍戦車179両を撃破した事から自信を深めた。だが、1918年8月のアミアンの戦いではカンブレーで得た戦車での急襲に加え、歩兵との連携でドイツ軍の対戦車防衛線を突破して更に進撃した。こうして第1次世界大戦では戦車の突破力を実証したと同時に歩兵による防御だけでは戦車は止められない事も実証した。前者はドイツの装甲軍団で電撃戦を展開して発展をさせたが、後者は新たな兵器の登場までにほぼ初期のやり方で各国は戦車との戦いに備えた。
第2次世界大戦になるとドイツ軍は88ミリ高射砲で、ソ連軍は野砲で長射程での敵戦車撃破が出来たが、広いロシアの戦線では味方の小銃や機関銃の援護を受けながら歩兵は集束手榴弾・工兵の爆薬に対戦車地雷・でキャタピラ・砲塔基部を破壊して撃破した。
また、スペイン内戦やソ・フィン戦争では火炎瓶が有効な兵器(日本軍もだ)として使われた。
カナトコや銃剣で戦車内部をこじ開ける事は無くなったが、基本は変わらなかった。この大戦では対戦車砲と言う新たな兵器もあったものの完全に戦車の進撃を防げず歩兵が仕留める場面が多かった。その場面で有効な兵器がアメリカの開発したバズーカであり、ドイツのパンツァーファウストである。これらの兵器は成形炸薬弾を発射する。成形炸薬弾は着弾すると一方向に爆発のエネルギーを集めて戦車や装甲車の装甲を貫通する。
バズーカもパンツァーファウストも対戦車砲より射程(バズーカは250メートル。対戦車砲は目標の装甲によるが500メートル以下から有効射程)は劣るものの、火炎瓶を投げたり、地雷を押し込んだりとするよりも距離を置いて隠れながら攻撃が可能である。これは身を晒して戦車に挑むよりも生存率は高い。何よりもそんな兵器が1人で携帯できるのが最大の利点であった。
だが、旧日本軍は地雷や爆雷による歩兵による捨て身の攻撃が対戦車攻撃の主流だった。バズーカの様な携帯式対戦車兵器は終戦前に生産はされていたが実戦には間に合わず、本土決戦で日本軍は戦車に破甲爆雷を背負った歩兵を乗せて米軍の戦車に挑もうとしていた。
日本軍の場合は戦車や火砲の対戦車能力の乏しさが歩兵に戦車への接近戦を続けさせる事となった。
戦後になるとバズーカやパンツァーファウストは進化して(後者はそのまま進化して欧州や自衛隊でも使われているし、RPG7のモデルとなった)戦車と歩兵の戦いは初期の歩兵が戦車に密着して攻撃する方法からある程度の距離で戦える様になった。第4次中東戦争では携帯式の対戦車兵器としてミサイル(AT-2サガー)も登場し、歩兵の対戦車攻撃能力は飛躍的に向上した。だが、戦車もリアクティブアーマーと言う爆発によって敵弾の威力を弱める装備を施して対抗した。
そして現在ではイラクで新たな敵であるゲリラと戦車は対峙している。2003年10月に米軍のM1エイブライズム戦車1両が仕掛けられた爆発物で砲塔が吹き飛ぶ程のものだった。(対戦車地雷7個を重ねて地中に埋めていた!)これに米軍は戦車にリモコン式の機銃や車体下部にスカートを増設して仕掛け爆弾や不意の攻撃に対処している。
また、イスラエルもメルカバMk3戦車が2002年にパレスチナゲリラの仕掛け爆弾で大破している。戦車と人間の戦いは新たな局面を迎えている。この場合では戦車は見えない脅威に備えると言う不利な状況である。対してゲリラはかつての歩兵の様な急迫さは無く、自らの有利な時に仕掛けた爆発物を使えば良いのだ。
第2次世界大戦でのドイツ軍の対戦車戦闘についての映像
http://youtube.com/watch?v=dQiQO2kOcwI&mode=related&search=
「藤田兵器研究所」より太平洋戦争時の日本軍の対戦車戦闘の解説(メイドなドールが教えます(笑))
http://www.horae.dti.ne.jp/~fuwe1a/newpage414.html