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ここは神奈川県の日吉。慶應義塾大学の校舎の屋上で1人の海軍大佐が空を見上げていた。
その空には光を反射させながら高空を行く編隊がある。米軍のB29の編隊である。
その海軍大佐の居る周囲ではけたたましい空襲警報が響いていたが、彼は気にせず双眼鏡でB29を観察していた。
だが、その顔は憎い相手を見るような苦々しい表情であった。
「やはり、マリアナをどうにかせんと…」
彼の名前は神重徳。連合艦隊首席参謀である。
時に昭和19年11月24日。マリアナ諸島を発進したB29が初めて日本本土爆撃を開始した日であった。
1944年(昭和19年)8月。マリアナ諸島のサイパン・グアム・テニアンの三島が米軍に占領された。
米軍はこれらの島をB29爆撃機の基地として整備した。
11月24日。東京の中島飛行機武蔵野工場爆撃を手始めにマリアナからのB29による日本本土爆撃が開始される。一方の日本軍はB29が飛行する高度1万メートルまで昇るのが精一杯の戦闘機ばかりで有効な迎撃は出来ず、体当たりまでしたが大損害を与えるに至ってはいない。
昭和19年11月26日 神奈川県日吉 連合艦隊司令部
「こんままではB29によって本土は焦土と化し、我が国の戦争継続能力は一気に潰されてしまう。今の内に大規模なマリアナ攻撃を行い米軍の爆撃を遅らせるんが最善なのだ」
ここは日吉の慶應義塾大学の敷地の地下にある連合艦隊司令部壕。神は会議の席上で鹿児島弁を交えてマリアナ攻撃の必要性を説いていた。
「だが、神くん。残された戦力を考えると本土の守りを固めるべきはないかね」
連合艦隊参謀長の草鹿龍之介が慎重な反論を言った。
残された戦力―昭和19年の二大海戦マリアナとレイテでの戦いで日本海軍は戦艦や空母をはじめ多くの艦艇に航空機を失った。
残るは戦艦「大和」を始め4隻の戦艦。空母は新型の「雲龍」級など5隻こそあれど燃料不足に航空隊のパイロットも数は揃えど未熟な者が多く強大な米機動部隊と正面から挑むには心細くあった。次の海戦を挑むのは大日本帝国海軍の最期を決心する時だろう。
「参謀長。このまま座して陛下の赤子である国民が死んでいくのを見ておけと言うのですか?」
「いや、そうでは無い。だが我が海軍もこの状況では出来る作戦が少ないのだと言いたいのだ」
2人の意見は平行線を辿る。
2人の上官である連合艦隊司令長官の豊田副武は2人の議論をただ見守っているばかりであった。妥協も結論も出そうにない窮した空気を1人の少尉が報告に来た事で変わった。
「報告します。たった今、B29が1機宮城に墜落して宮城の一部が炎上中です!」
この報告に誰もが冷や水を頭から被ったようなショックを受けた。
このB29はF13と呼ばれるB29の偵察機型の機体で、エンジントラブルで高度が下がった上に出撃した陸軍の二式複座戦闘機「屠竜」の攻撃で関東上空からの離脱は叶わず宮城に墜落してしまったのだ。
宮城は日本人が敬う天皇家が住む聖域。そこを爆撃では無いもののB29の侵入を許し炎上させて皇族を危険な目に遭わせてしまった。それは「天皇の軍隊」を自称する彼らにとってかなりの衝撃を与えた。
「やはり、マリアナは叩くべきかと…」
神は皆が一様に静まりかえる中で豊田に言った。
「そうだな、やらねばならんな」
豊田は苦虫を噛むような表情のまま了承する旨を答えた。
(これでようやく今までの苦悩が報われる)
神は願ってもない好機で自身の案が通った事とそれまで何度となく唱えたマリアナ攻撃が実現できる事に身が引き締まる思いがした。
神はサイパン島陥落後に自ら戦艦「山城」の艦長となってサイパン島に殴り込みをかけると軍令部に提案したが却下されたいきさつがあった。だが、今や連合艦隊の作戦としてサイパンを初めとするマリアナ攻撃作戦が動き出そうとしていた。
昭和20年1月9日 広島県呉 夕方
呉の街にとってこの年の正月は忙しいものであった。特別休暇で郷里に帰る将兵で呉の駅は大晦日まで混雑し、呉鎮守府からの注文で宴会がいつでも開けるようにと料亭や旅館は準備に追われ、それらの料亭・旅館や海軍の発注で食料を扱う問屋は「まだ師走だよ」と嬉しい愚痴をこぼしてた。
正月になると郷里から夫や息子に会いに老夫婦や妻や子供達が呉を訪れた。料亭や旅館では「今日は無礼講だ」とする宴が連日違う将校達で行われた。
これらを見た呉の商人達は「どうやら連合艦隊が近々大きな作戦でもするのだろう」と予測した。
それは悟りの境地を顔に見せる将兵達を見れば尚更だ。
これら最期の別れによって正月を過ごした海軍将兵は呉のみならず横須賀でも同じであった。
そしてこの日。呉から艦隊が出撃しようとしてた。
戦艦「大和」に「榛名」。空母「雲龍」・「天城」・「葛城」重巡洋艦「利根」・「青葉」軽巡洋艦「矢矧」に駆逐艦15隻からなる第二艦隊の主力である。
徳山燃料廠の重油を帳簿外の量まで根こそぎ腹に満たしたこれらの艦は呉の岸壁から見送る将兵の声援を受けながら瀬戸内海を西へ針路を取る、豊後水道へと。
「燃料全部食わせて貰ったんだ何としてでもマリアナに行かければならん」
「大和」艦長有賀幸作大佐は艦橋で自身に科せられた重責をこう表した。
「そうだな。最後の一艦になってでも行かねば燃料廠の連中に顔見せできんからな」
有賀の肩の力を抜かせるように第二艦隊参謀長の森下信衛少将が冗談めいた風に言った。
「余裕だな。これが連合艦隊最後の作戦と言うのに」
「なあに、この大和の艦長をやると気持ちがでかくなるのさ」
「おいおい、俺への嫌味かよ」
有賀は森下の口の悪さにようやく笑みを浮かべた。これは海軍兵学校同期だからこその仲である。
ちなみに森下は前代の大和艦長である。
この2人のやり取りを聞きながら第二艦隊司令官伊藤整一中将は艦橋から望む光景を眺めていた。この20隻以上もの艦艇を率いて連合艦隊最後の作戦「天一号作戦」を指揮する事に感慨深い思いであった。
(これで責任を果たせるか…)
軍令部次長であった頃、悪化する戦況に何も出来ずにいて歯痒い思いをした伊藤。そしてとうとう彼が思うこれまで海軍上層部の一員であった事への責任が果たせると。
様々な思いを乗せて艦隊は一路太平洋へと向かう。
昭和20年1月9日 夜 フィリピンルソン島沖 戦艦「ニュージャージー」
米第三艦隊司令官ウィリアム・ハルゼー大将は部下の報告に色めき立った。
「出たかジャップ!」
その報告は豊後水道で潜航していた潜水艦からの情報であった。
「ワレ敵艦隊発見 戦艦ト空母ヲ確認ス」
詳細が不明であったが、猛牛ハルゼーを焚き付けるには充分な材料であった。
「よし、ただちにその敵艦隊を攻撃せねばな」
ハルゼーは意気高くそう言った時に副官が上官を抑えにかかる。
「今はルソン島上陸作戦の支援中です。ここを動く訳には…」
「むう…そうだな」
この時、第三艦隊はフィリピンルソン島への上陸作戦の支援を行っていた。ちょうどこの日第7艦隊の艦砲射撃の援護を受けながら上陸作戦が行われたばかりで別の海域に第3艦隊を動かす訳にはいかない時期であった。
「ニミッツに連絡だ。せめて1群ぐらい割いて敵艦隊を攻撃したい」
ハルゼーは太平洋艦隊司令長官のチェスター・ニミッツ元帥に連絡をした。
「敵艦隊発見せり。我が艦隊の一部を敵艦隊追跡に使いたい」
とハルゼーはニミッツに進言した。
この回答は2時間後に来た。
「1任務群のみで追跡せよ。主力は引き続き第7艦隊と共同して現在の作戦を遂行せよ」
ハルゼーの願いは叶った。
このニミッツの許可からハルゼーは第58任務部隊から第4任務群を第二艦隊追跡に向かわせた。
昭和20年1月10日 未明 サイパン島沖
夜の闇に暗く映える海面が唐突に割れた。
鋼鉄の塊が白波を幾重も作りその姿を現す。その鋼鉄の正体は伊三六一潜水艦。潜輸と呼ばれる輸送任務に特化した潜水艦である。
「準備急げ!」
艦長の号令で乗員は甲板に出て作業を始める。伊三六一には大発こと大発動艇と呼ばれる上陸用舟艇が2隻甲板に積まれていた。
伊三六一の乗員はその内1隻の大発を格納庫から引き出し海面に浮かべる。
その大発に完全武装の兵達が乗り込む。彼らは海軍の特殊部隊呉鎮守府第一〇一特別陸戦隊、秘匿通称S特である。
その秘匿名称のSはsubmarine(潜水艦)の頭文字から取ったもので、潜水艦による敵地への侵入が任務であると言う意味がある。そして今、その実力を発揮すべく伊三六一から大発に乗り替えてサイパン島へと向かおうとしていた。
「ここまで運んで貰いありがとうございます」
「こちらも君達みたいな精鋭を運べて光栄だ。武運を祈る」
竹原治郎少尉は伊三六一艦長と感謝の言葉を互いに言い終えると部下が待つ大発に乗り込む。
「よし、出せ」
竹原の合図で大発は出発し、伊三六一から離れる。伊三六一では、甲板と艦橋に立つ艦長以下の将兵が敬礼して見送った。
「あれは援護の爆撃だな」
サイパンを目指す一同の目に爆発による炎が幾つか瞬くのを見た。このサイパン侵入作戦の陽動として行われる第七五二航空隊の一式陸上攻撃機による夜間爆撃だ。この陽動の為に七五二空は硫黄島まで進出し、そこからこの爆撃を行っていた。
「あ…」
小隊の誰かが思わず呟く。陸攻だろうか、夜空を炎の流れ星が落ちていく。
誰もがあれが陸攻であれば伊三六一と同じく自分達は彼らに報いる戦いをせねばと新たに心に刻んだ。
この時、テニアン・グアムにも潜輸によってS特の小隊が運ばれた。S特は天一号作戦の尖兵としてマリアナへ上陸したが、その活躍はまだ少し待たねばならない。