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1918年(大正7年)には鉄道隊を3個中隊から12個中隊からなる鉄道連隊に拡充され、2個連隊(鉄道第一・第二連隊)が創設された。この2個連隊は電信隊・気球隊と共に交通兵旅団の所属となった。
連隊は千葉の津田沼に駐屯した。ここで演習用の路線が敷設された。(現在の新京成電鉄京成線として路線は再利用されている)この路線での訓練と研究で軍用軽便鉄道1路線で1日に600トンの輸送が可能となり、1路線で数個師団の補給を支えられる能力を日本陸軍は持つ事となった。
第一次世界大戦で日本陸軍はドイツの租借地である中国の山東半島に侵攻。ここで臨時鉄道第三大隊(後に臨時鉄道連隊)が編成され上陸地点から前線までの鉄道敷設。前線部隊への補給や輸送。ドイツが施設した山東鉄道の修復工事を行った。
大正7年から開始されたシベリア出兵では第一・第二鉄道隊(臨時鉄道連隊の第一大隊と第二大隊になる)がシベリアで行動した。
第一鉄道隊は第一二師団所属の第一二旅団を主力として鉄道支隊を編成。黒竜江鉄道において鉄道進撃を行った。鉄道進撃は鉄道部隊が歩兵・砲兵を列車に乗せて進撃。鉄道を用いた快速部隊として進撃するのが鉄道進撃である。敵と遭遇すれば歩兵は下車して敵を排除。路線が破壊されても鉄道部隊の兵が修復工事を行う。
シベリア出兵でこの鉄道進撃の戦術が初めて実戦に使われた戦場となった。
1923年(大正12年)の関東大震災では2個の鉄道連隊は関東戒厳司令官の指揮下で鉄道復旧の工事を行った。
日本鉄道部隊は新たな戦力として装甲車両を導入した。シベリア出兵では列車に先行して装甲を施したトロッコが進んだ。これで敵が居ないか偵察するのだ。しかし、それでは線路上の活動に限られる為に不十分な偵察しか出来ないからだ。そこで、線路上から出て偵察出来る車両が必要となった。
シベリア出兵の時には装甲軌道車と呼ばれる装甲車が使われていたが、本格的なものとして九〇式広軌牽引車が最初に開発された。
この車両はスミダ6輪トラックを改造したもので、線路上では鉄輪。路上はゴムタイヤで走行する。
その九〇式の改良として九一式広軌牽引車が開発された。だが、九〇式や九一式も固定の武装は無く、小銃や機関銃を車内に持ち込んで武装させた。
また九一式は速度が路上で40キロ、線路上で60キロ。軽貨車実車4両を牽引して40キロで走れた。
牽引車はその後、九二式・九七式鉄道牽引車・九八式鉄道牽引車(重)(軽)・一〇〇式鉄道牽引車とトラックをベースにしたこれらの車両が開発される。前線へ貨車を引き輸送を行い、装甲車の性格もあるためにゲリラが潜む危険な地帯の路線を走行出来る車両として使われた。
それら牽引車の発展したものとして九五式装甲軌道車が昭和10年に開発された。九五式は外見が戦車と似た姿となっている。線路以外での走行はキャタピラであり、路線外への移動は九一式で5分だったが九五式では車内の操作で1分で出来た。使用軌間は1000ミリから1624ミリまで変えられた。
しかし、武装は固定の機銃や砲は装備されなかった。これは工兵機材を開発する陸軍技術研究本部第2部の所管であり、車両や銃器火砲弾薬を開発する第1部から協力を得られなかった。つまり、管理部署の違いと連携の無さが軌道車に大きく影響を与えてしまったのだ。九五式で鉄道兵は小銃や機関銃を持ち込み5カ所の銃眼から射撃する事となった。
武装こそ不備ではあるが、その戦車に似た姿は大いに役に立った。日中戦争で中国軍の装甲列車を発見した九五式は線路外に出て敵装甲列車の側面に回り込んだ。九五式を見た中国軍はそれを戦車だと勘違いして列車を捨てて逃げたと言う逸話がある。
それに少しちなんで、今回は軍事から鉄道な要素を取り上げてみよう。
日清戦争後の1896年(明治29年)に鉄道大隊(初代大隊長、吉見精工兵中佐。大隊は鉄道2個中隊・電信1個中隊・材料廠からなる)を編成したのが日本陸軍鉄道部隊の始まりとなった。
日本陸軍が鉄道部隊を持った理由は日清戦争で馬匹による輸送が困難であると痛感し、軍事輸送に使える自動車がまだ無い時代では新たな輸送手段として鉄道を必要としたからだ。
そこで日本陸軍は自ら鉄道を敷設し、列車を運用する鉄道部隊を創設したのである。
まず、装備されたのはイギリスのバッグナル社製B型サドルタンク機関車2両と各種貨車であった。それらの車輌を使い訓練が始まった。
しかし、その機関車は軌間は610ミリ。だが、使用する軌道は輸入した600ミリでサイズが合わないために脱線のトラブルが起きたそうだ。
1900年(明治33年)の北清事変(義和団事件)では鉄道大隊から1個中隊を派遣した。部隊は北京-天津間鉄道の豊台以東の修理を担当し、ドイツ軍が担当する廊坊以南にまで修理した。
しかし、1901年1月1日。吉見大隊長が戦病死し、井上仁郎中佐が代わって指揮をした。
この北清事件で鉄道大隊はドイツ軍鉄道部隊の区画と接して作業していた。そのドイツ軍の作業を見たせいか事変後にはドイツやオーストリアに将校を派遣して軍用鉄道の技術を研修させた。そして訓練もドイツ方式になった。
事変後。鉄道大隊は2個中隊から3個中隊に増強された。
1902年(明治35年)に鉄道大隊から電信中隊が電信教導大隊に拡大し、鉄道大隊は鉄道隊に改編した。
1904年(明治37年)に勃発した日露戦争で日本の鉄道部隊の力量が試される事となった。
日本は日露戦争に備えて軍用鉄道用に188組もの機関車や狭匡や資材をドイツに発注したがほとんど到着しなかった。
しかし、鉄道大隊にはB型サドルタンク機関車2両と双合機関車(2つの同型機関車を背中合わせで接続して1両とした機関車)が5両。5トン積みの貨車が若干という大部隊を支えるには貧弱な輸送能力しか無かった。
そこで、韓国の京釜鉄道にあるアメリカボールドウィン社のC型タンク機関車30両。開戦後に25両に水タンクの容量を大きくした準同型機27両を引き抜いて不足する機関車を揃えた。
また野戦鉄道提理部(竹内徹工兵中佐。臨時軍用鉄道監部とは別組織)が日本国内の鉄道各社から車両と技術者を遼東半島に送った。
戦場に近い韓国に京城(ソウル)-義州間の鉄道(京義線)を建設する為に臨時鉄道大隊が編成さた。開戦から1ヶ月後に韓国仁川へ到着し、測量作業を行って後続の臨時軍用鉄道監部(山根武亮少将。工兵4個大隊・後備工兵中隊が主力)と日本から動員した建設請負業者が進出した時に作業を早く進める様にした。
臨時鉄道大隊は7月末に測量作業を終えて安東ー奉天間の鉄道(安奉線)建設に着手した。この安奉鉄道は軽便鉄道でありながら区画総延長約124キロの長大な路線となった。
一方で野戦鉄道提理部は鉄道作業局からの軍属を含めて900人以上を動員してロシアが敷設した東清鉄道を広軌から狭軌に改軌する工事が行われた。日本国内の転輪機材を使うには狭軌に変える必要があったからだ。野戦鉄道提理部が7月に遼東半島に上陸して以来3ヶ月以上かけて1日8往復の軍用鉄道の運用が可能となった。そして大連-鉄嶺間を1日16往復までに輸送能力は拡大した。これは工事に従事した作業員や機関士の努力の賜と言える。
野戦鉄道提理部は8300人以上に規模を拡大していた。戦後は臨時軍用鉄道監部を引き継ぎ、1907年(明治40年)には路線を南満州鉄道に引き渡した。
参考文献
・「別冊歴史読本 日本陸軍機械化部隊総覧」 新人物往来社
・「軍用自動車入門 軍隊の車輌徹底研究」 高橋昇 光人社NF文庫
歴史群像2005年6月号「陸軍鉄道部隊 戦線を支えた鉄路の工兵」 松代守弘
なんと、東京からフェリーで四国に上陸。そこからゲーム「サイレン2」の雰囲気を楽しむべく廃墟巡りをしていたと言う。
今回は旅の途中で広島県に上陸する部長さんと会う事となった。共に我が姉(ATXスレでは白薔薇かな)を連れて行く。
待ち合わせ場所は忠海の駅。ここで我が姉と部長さんを初対面させる。やはりドッキリしておりました(実は部長さんには言わずにいた(笑))そこからフェリー乗り場へ行き大久野島へ。
部長さんの提案で、これまた「サイレン2」の世界観を楽しむ廃墟巡りとして大久野島へ。
大久野島は旧陸軍が毒ガス兵器の生産を行う工場が置かれた島である。戦後は施設の多くが解体されたが、一部は廃墟となって今も残っている。それらを巡るべく島を歩き回る。
快晴ではあるものの日差しはそこまで強くなく、ハイキングを楽しめるものでした。
もっとも、地元ではありましたが大久野島の戦争遺跡を見に行った事は無いので初めて見るコンクリートの倉庫や発電所に史料館の防護服や装置に毒ガスを浴びてしまった労働者の手記など紛れもなく毒ガス工場が存在した事を再確認する事ができました。
けれども、その負の歴史の名残としてウサギが島にはどこにでも居る。(毒ガスが漏れていないかを見るためにウサギを連れて島に放したそうだ)白や茶色の柔らかな毛に包まれたウサギが次々に近くに寄ってくる。3人ともそれに和んでいました。
またフェリーで忠海に戻り。それから呉市に向かう。昼飯を食べてから呉海自史料館や大和ミュージアムでも見せようかと思ったのですが、時間が間に合わず外から潜水艦を見せるだけになってっしまいました。
また、夕方となりそこで今回はお開きとなり充実した1日となった。
また、部長さんから四国土産で讃岐うどんを頂く。麺がつるつるした食い応えのある良いモノでした。
スカパーのアニメ専門チャンネルATXで28日午後9時30分放送された。現在においては唯一の放送だろう。
放送直前に出たATXからのお知らせ。これを最初は事件の影響が残る今に配慮しての事だと考えていたが。
このお知らせをしないといけない程の内容でした
ここから先はネタバレになります。(また、残酷な表現含む)
主人公である伊藤誠は西園寺世界を妊娠させてしまう。それに誠は戸惑い、責任から逃れたいと言う態度に出る。その時に冷たく接するようになっていた桂言葉と出会う。
(この時に誠のアパートの部屋で手料理を作って待つ世界からの電話を誠は怒りながら「帰れよ」と言う場面は誠の非情さ極まれりと言う所ですね)
世界は誠が言葉と一緒にいる所を目撃する。それから3人の修羅場。そして世界は精神的に追い詰められ・・・とうとう包丁を手にして誠を殺してしまう・・・。
誠を殺害して自分の部屋に閉じこもる世界に言葉からの呼び出しメールが。
呼び出された世界は目にした。「バッグに詰められたバラバラ(?)の誠の死体」を・・・。言葉は「西園寺さんが言っていることが。本当かどうか確かめさせてください」と言ってノコギリで世界を殺し、更にはお腹を裂いて本当に世界のお腹に赤ちゃんが居るか確認し、「やっぱり嘘だったんじゃないですか」と言った。
そして言葉はヨットの船上で誠の「頭部」を抱いて幸せに浸っていた・・・
これが大まかなSchool Days第12話の流れである。見た感想は
ひぐらしのなく頃に以上に怖い
です。ここまでドロドロの鮮血エンドは背筋が凍るものです。これでは地上波では休止になってもその通りな内容でした。(けど、あそこまで思い切った流れにしたスタッフも凄いものだが)
ちなみに、2ちゃんねるのATX実況スレではいつも以上に盛り上がり、7885レスも書き込みがあったそうです。(ATX実況スレ調べ。CM含む)これは8スレに相当する(1スレが1000レス)もので、1年以上ATX実況スレに居て初めて体験するスレ消費の早さである。
また、同じ日の午後10時から秋葉原でスクールデイズ第12話試写会が行われたそうで。あの血みどろの展開に3人が吐いたとされる。
何にせよ。事件と放送休止という話題性に内容のあまりの凄さに今年のアニメ最大の伝説となったSchool Daysであった。
9月18日午前。16歳の少女が45歳の父親を斧で殺害した。
同日深夜。テレビ神奈川で放送されるアニメ「School Days」第12話が突然の休止。代わりにヨーロッパの城などの風景が流れた。
http://jp.youtube.com/watch?v=mx3HeTbeBbc
(YouTubeより。テレビ神奈川で放送されたスクールデイズ第12話差し替えの映像)
http://mantanweb.mainichi.co.jp/web/2007/09/schooldays.html
(まんたんウェブより。スクールデイズ休止の記事)
http://www.schooldays-anime.com/news/newspup/index.html
(School Days公式サイトより第12話休止に関して)
http://danceofeternity.blog76.fc2.com/blog-entry-650.html
(まごブログレッシブルより、チバテレビでのSchool Days第12話差し替映像の画像)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1123262
(ニコニコ動画よりテレビ大阪でのSchool Days第12話の対応)
School Daysを放送していたテレビ神奈川・チバテレビ・テレビ埼玉・テレビ愛知・テレビ大阪と、地上波での放送は全部休止となってしまった。
残るはCSのアニメ専門チャンネル「ATX」だけである。27日に問題の第12話が放送となるが、公式サイトも放送の中でも休止の告知は無いので放送されると思われる。
では、何故にSchool Daysは放送休止となったか。第12話で出てくると思われる場面をゲームの動画で見てみよう。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm991399
(ニコニコ動画より、ゲームSchool Daysの動画。ネタバレでもあるし、血が苦手な人は注意)
この場面では、ヒロイン言葉がのノコギリで殺人を行っている。アニメもこれと同じとすれば、事件と内容は似て無くてもテレビ局や製作側も批判やクレームが来るのを回避するために自粛したのだと考えられる。
しかし、第12話は最終回でもあり注目作でもあるから期待していた方達にとっての落胆は大きい。
また、落胆の声は海外から出て「Nice boat」の言葉がネットで広まった(笑)
http://sacredplacejapan.blog.shinobi.jp/Entry/92/
(聖日本より海外の反響)
http://d.hatena.ne.jp/keyword/Nice%20boat
(「Nice boat」について)
だが、その一方で斧を使うキャラクターが出ていたアニメが同時期に放送されていたという。
http://nayuta.blogzine.jp/fundoshi/2007/09/xenoglossia25_2d83.html
(人の褌より アイドルマスターXENOGLOSSIA第25話)
京都の事件はSchool Daysだけでは無く、「ひぐらしのなく頃に解」の休止にも及んだ。
「ひぐらし」の場合は一部のマスコミで「斧」を使った事をヒロインの竜宮レナが「鉈」を使い、殺人をした事に影響されたと言う風に報じられた。
http://www.kbs-kyoto.co.jp/contents/report/archives/2007/09/post_19.htm
(KBS京都。ひぐらし放送休止の告知)
http://mantanweb.mainichi.co.jp/web/2007/09/post_1364.html
(まんたんウェブより、ひぐらしのなく頃に解放送休止の記事)
http://jp.youtube.com/watch?v=OTie5DfE4FI
(YouTubeより。ニュース番組「ムーブ」で京都の殺人事件を「ひぐらし」の影響か?と放送)
とは、いえ。犯人となった少女が「ひぐらし」のソフトやマンガを持ち。犯行を「ひぐらし」からヒントを得たと自供でもしない限りは「ひぐらし」を批判する事はできない。したとしても「根拠のない言いがかり」にしかならないからだ。その為に報道で「ひぐらし」の影響を報じる所は少ない。
けれども、こう影響とばかり言っても事件の経緯を見ると家庭事情の不満が溜まった事の方が大きいのだ。マンガやアニメの影響が大きいならば前から鉈やバットを使う事件が連続していた筈だ。アニメ「ひぐらし」の1期ではバットや鉈での殺人シーンが何度もあったが、それに影響を受けたとされる事件は聞かない。
ここで過去。起きた親類を殺害した事件を見てみよう。
http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/news2/2006/nara.html
(奈良県家族3人放火殺人の犯罪心理学)
http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/syounen/2005/itabashi_murder.html
(板橋両親殺人事件の犯罪心理学)
この2つの事件は親殺しと放火に爆破を行った事から大きくマスコミに取り上げられたニュースである。どれも犯行を行った少年は真面目な性格であるが故に家庭や自分への接し方への不満が大きく溜まり犯行に及んでいる。2つの事件の少年にしろ、今回の少女にしろ家庭という閉じられた世界の中で不満を解消できずにいたのが犯行に至る動機としては大きい。
だが、今日。斧による犯行がまた起きた。これに関しては京都の事件のニュースを見ての事と考えられる。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070924i101.htm?from=navr
(読売新聞 中3少年。斧で父親の頭切る)
何にせよ。世の中で人間は何らかの影響は避けられない。しかし、犯罪で創作物のマネをするのはごく希なものであろう。犯罪にしても何らかの目的があり、それを実行する段階でアニメやゲームなどのマネをするのは愉快犯や猟奇殺人の域である。その域に達した場合は未熟な心の少年少女にしろ人格にこそ問題がある。
今回の放送休止の流れは制作側とテレビ局が騒ぎが起きる前に行った回避行動である。作品の続きを楽しみにしていたファンからすれば、とんでもない話だが、批判のヤリ玉に上げられるマンガやアニメにあっては致し方ない流れであるとも言える。現在移行に向けている地上デジタル放送で視聴年齢制限が設定できれば、いきなりヨーロッパの古城を目にする事も無くなるのでは?と考え期待したいものです。
オマケ(某ドイツの総統は今回の騒動にご立腹だそうです(笑))
http://jp.youtube.com/watch?v=1j5r3kGObR8
http://jp.youtube.com/watch?v=e4wCC4o0FFk&NR=1