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と、唐突に書くと何か分からない方も居るのでどんな所か説明しよう。
掲示板2ちゃんねるの実況板にあるスカパー実況の中にそれはある。アニメ専門チャンネルATXを実況するのがATX実況スレだ。だが、他にあるキッズステーション・アニマックスの実況とは異彩を放つのがATX実況スレである。
古参の人は語る。
かつて、スカパーの実況ではアニメ実況スレがあってATX・キッズ・アニマの3チャンネルを実況する所があったそうだ。しかし、3チャンネルを一括りで収めるには無理があった。
自然と3チャンネルは、それぞれ独自のスレで実況するようになった。その時に生まれたのがATX実況スレであるという。
しかし、黎明期のATXスレは1000を行く事無く消えてしまう事が多かったそうだ。それはATXが1500円以上の月額を支払うチャンネルだからと言う事で実況する人が限られた所にあったようだ。
そして今。30人以上のコテハンが居ると言われるスレに成長した。
呉護衛艦隊陸戦隊と名乗り俺も気が付けば2年間も居るスレだ。その2年近くだけでもかなりの変わり振りと行って良い。
俺が初めてATX実況スレに来た時はコテハンが俺以外では4人か5人ぐらいだった。(当時はアニメFateや舞乙が初の放送だった)そこから徐々にコテハンが増えて行った。去年の今頃には現在のスレの雰囲気が出来ていた。
何故にコテハンが増えたか?黎明期では弱点だった1500円以上の月額が毎回来る人をある程度固定化させた。これに「コテハン付けてみようかな」としてコテを名乗る人が増えた。コテハンの多さに「俺もコテハンで行こう」と思いコテハンとなる人が出て現在の異常に多いコテハンの集まりとなった。
コテハンは多くは自ら名乗る事が多い。中には実況民から名付けられた人も居た。
だが、コテハンの多さに「コテハンじゃないと楽しめないのか?」と名無しさんから異論が何回か出た。その一つの回答として「名無し専用ATXスレ」が立ったが、名無しさん1人のみの実況となり廃れた。(最後はいつもの実況民が名無し専用を次のスレとして乗っ取る事態になっていたがw)
また、ATX実況スレの特徴として雑談の多い事だろうか。作品に出る声優やスタッフの事はもとより、出ている兵器や料理・科学・鉄道・スポーツ・音楽など。果ては作品に関係ない本当の雑談まで何でも話題は出てくる。時には全く実況せず30分雑談ばかりの場合もある。
他にもATX実況スレで名物なのは「嫁取り合戦」である。特定のキャラクターや声優を先制で「○○は俺の嫁だ」「○○は私がいただく」という風に書き込むのだ。もしも複数が同じキャラ・声優を指名すると取り合いとなるのだ。よくある取り合いは中原麻衣だ。現在もコテハン3人による争いが連日繰り広げられている(笑)
究極の事となると他のチャンネル実況である。一同が実況する作品が無いせいかディスカバリーチャンネルの番組を実況する時もあった。能登麻美子が出るからとNHK教育の「ペネロペ」を実況し、最近ではフジテレビの報道番組で秋葉原が特集されたのを実況した。
まさに自由なスレなのがATX実況スレなのである。
ここまでの流れを作ったのはスレが荒れなかったせいだろう。キャラや声優・スタッフを異常に悪く書いたり、実況民をなじる人が居ないからだろう。批判こそはしてもアンチとなって居る人は皆無だ。過去に荒しのような事はあったがだいたいがスルーされている。
それに1500円異常の月額が実況参加する年齢層を高めている事もある。確認されただけでも下は19歳。上は43歳まで居る。まさに「大人のアニメチャンネルATX」である。
けれども、それは何よりも実況民の皆が良い人達ばかりだからだ。
ここのブログでは書いたが今年の8月には実況民が集まってオフ会まで行われた。まさにATX実況スレは今、絶頂期を迎えていると言って良いのだろう。
最後に過去に起きたATX実況スレの事件・現象を記す。
・2006年春。「マリア様が見てる」の実況でロサ・○○と名乗り、呼ぶ事が流行った。
(「マリ見て」ではキリスト系の学校が部隊で生徒はロサ・○○で呼ばれる事もある事から)
・2006年秋。この時期からコテハンが増える
・2007年2月か3月。ARIA1期と2期を日曜日に続けて放送(合わせて3時間、1期2時間。2期1時間)された。これを「ARIA地獄」とも呼ばれた。
・2007年5月から木曜日夜に新作アニメが集中。「地獄の木曜日」と呼ばれる。(8時から12時まで連続だから)
・2007年8月。東京でATX実況スレを開催。
・2007年9月。スクールデイズ最終話の独占放送により30分で8スレが消費される最速の時となった。
http://ichigoumaru.dip.jp/index.php?eid=27#comments
(同じ実況民の毎週壱号○さんの「いちごうまるブログ」よりATX実況スレについての記事)
鉄道部隊は得意の鉄道進撃を行い、対する中国軍も装甲列車で対抗したが1937年(昭和12年)の石家荘付近の戦いで日本軍は中国軍装甲列車を捕獲して鉄道での戦いは日本軍有利に進む。
日中戦争の戦線の拡大は日本軍が管理する路線も増える事を意味した。昭和12年から13年の間に鉄道第四・五・六連隊が編成されて路線の警備や修復に工事・輸送任務に従事した。
1941年(昭和16年)6月。ドイツがソ連に侵攻し、日本は同盟国ドイツの支援と仮想敵国ソ連を叩くべく「関東軍特殊演習」と称して満州に部隊を集結させた。ここで鉄道部隊は部隊や物資の輸送と共に日ソ開戦の準備をしていた。日本陸軍は第1の仮想敵国としてソ連を想定し、満州からシベリアへ進撃する作戦を立案していた。鉄道部隊もその時に合わせて車両をソ連の広軌路線でも通れる仕様にしていた。
だが、日ソ開戦は無く太平洋戦争が勃発。鉄道部隊は新たに東南アジアでの活動をする事となった。占領したフィリピン・マレー・スマトラ・ビルマで路線修復や輸送任務に就き、今度は新たな路線を建設する事になった泰緬鉄道である。
泰緬鉄道はタイとビルマを結ぶ路線である。隣国を結ぶ路線ではあるが、国境付近の山岳地帯がそれまでの路線建設を阻んでいた。その困難に日本軍は挑む事となった。
ビルマに展開する部隊の輸送は船舶による海路だけしかなかった。だが、主要な作戦はビルマとは逆方向の太平洋中部やニューギニア・ソロモン諸島にあったから日本の保有する船舶の数では逆方向の戦線に回す余裕が無かった。それを見越して東南アジアの陸軍作戦を統括する南方軍鉄道司令部は開戦前から泰緬鉄道建設の計画を検討し、昭和17年に大本営に建設の申請を一時却下されるが7月には許可が下りた。
昭和17年9月16日に総延長415kmの鉄道建設が始まった。この建設に昭和16年9月に編成された鉄道第九連隊がタイから。ビルマから鉄道第五連隊が建設を行ったが、主な労働力は3万人の捕虜の連合国軍兵士に10万人の現地人労働者であった。
建設には日本から工具や車両ぐらいで、枕木や橋の資材となる木材は現地で調達。レールはマレー・ビルマから持ち込んだ。足りない資材や困難な地形であっても戦況に間に合わせる必要から雨季でも急ピッチで作業は進んだ。かつて、建設しようと現地調査したイギリス人。そして建設前に調査した日本の技術者も泰緬鉄道の建設には5年かかるとしていた。だが、それを1年以上で完成させた。(昭和18年10月に開通)だが、短期間の工事は連合軍捕虜1万2000人・現地人労働者3万人が犠牲となっての完成であった。
南方軍は泰緬鉄道で1日3000トンの輸送が可能と見積もったが、連合国軍の爆撃を受けて当初予定の3%しか輸送出来なかったと言う。
終戦後。泰緬鉄道は鉄道第九連隊が一時運営し、現在ではタイ側をタイ国鉄が運営している。また、映画「戦場にかける橋」のモデルにもなっている。
昭和19年3月から昭和20年5月までに第七連隊から第二〇連隊まで12個鉄道連隊が編成された。だが、太平洋戦争は島々を巡る戦いが主である為に鉄道部隊の活躍は限られていて、中国大陸や東南アジアの路線の維持や運行を行っていた。
1945年(昭和20年)8月9日にソ連が参戦した。満州が戦場となると鉄道部隊は輸送路確保の為に列車を運行し、ソ連軍の利用をさせない為にトンネルや路線を破壊した。中にはソ連軍と交戦してほぼ全滅した部隊もあった。こうした中で日本は降伏。終戦直後は前述の鉄道第九連隊による泰緬鉄道運営や中国軍の指揮下で北部仏印(イントシナ北部)の鉄道復旧や輸送を鉄道第十連隊が行った。
一部の部隊が技術を買われて終戦後も活動しつつも日本陸軍の解体と共に鉄道部隊の歴史は幕を閉じた。
ここまで見ると日本陸軍鉄道部隊は輸送・工兵の支援部隊としての性格。装甲車両に火砲を有する戦闘部隊としての性格と、鉄道さえあれば多様な任務が可能な汎用な部隊とも言える。泰緬鉄道は資材の不足と無理な工事で犠牲を強いる事になったが、他の点においては輸送も工事も戦闘もこなす自己完結の出来た独特の兵科として能力の高さを示したものであった。
新たな参考資料
・歴史群像2001年6月号「太平洋戦争PHOTO GRLLERY Vol.18戦場に架ける橋泰緬鉄道」
・「マンゴーシャワーにうたれて・・・」
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/hibi00/index.html
・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)より「泰緬鉄道」の項
スカパーのアニメ専門チャンネルATXでSchool Days最終回が放送されてから1週間が過ぎた。
2chのATX実況スレでは学園モノのラブコメはスクールデイズに見えて仕方ない人が多いようだ(笑)まあ、俺もそうだw
主人公に複数のヒロインが好意を持つと言葉と世界みたいだと連想し、ヒロインが携帯電話で主人公にメールをすれば「言葉化した!」、ヒロインが包丁持てば鮮血ENDか、と「スクイズ病」かよ(笑)と思える程の反響振りである。
思い返しても、主人公の誠が人間失格なキャラな上にストーリーが進むにつれて絶望的にしかならない作品は珍しいものである。鬱展開では「AIR」や「君が望む永遠」があるが、アニメを見る限りは人間不信の様な絶望さを最後まで味わう事は無い。
ある意味において人間の醜さを描いた名作(迷作?)とも言えなくも無い。
スクールデイズ放送終了から少ししてNHKのクローズアップ現代で赤ちゃんの置き去り問題を取り上げていた。内容は誰にも妊娠した事を相談せず密かに出産して病院の前からトイレ・路上。果てはゴミ捨て場に赤ん坊を置いて行くと言う事に始まり、その原因のケースの1つとして同棲生活で妊娠してしまうが男から「出産の費用が無いから生むな」「俺の友人は彼女の腹を蹴って堕胎させた」と冷た過ぎる態度に出る。けれどもトイレで出産してしまう。これに男は「養育費は払えないから捨てろ」と出産したばかりの女に言った。(本当なら体力が弱っているので安静にしないといけない)そして生まれたばかりの我が子を女は捨ててしまう。
これを見て「誠は本当に居るんだ」と悲しい気分に浸ってしまった。
あれだけの内容のスクールデイズも現実の冷酷さの方が遙かに悲劇なのだと再認識するものだ。(当たり前だけど)
そしてもしも、子供が出来たら男は責任とるべきだ!
http://d.hatena.ne.jp/bushin/20071003/1191408827
(声優マニアックス)
http://ameblo.jp/ossann37/entry-10049638712.html
(元コンビニ店長がくいぶちを探すBlog)
何だかんだで人気が出たスクールデイズ。東京秋葉原ではその影響として「スクイズ喫茶」なるものが出た。
http://www.toranoana.jp/with_cat/event/event0928.html
(「 Cafe with Cat」のサイト」
http://ichigoumaru.dip.jp/index.php?eid=23
(「いちごうまるブログ」より、スクイズ喫茶の体験談)
また、アニメを見たカップルが別れた。
http://d.hatena.ne.jp/bushin/20070923/1190498182
(「声優マニアックス」より)
そして様々なMAD動画のネタとして使われた
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1151242
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1188880
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1130914
http://jp.youtube.com/watch?v=-aoLR6pA1YI
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1105285
あ~俺もスクイズ病だな
(左:雛見沢に来た自衛隊が装備していたMP5 右:鷹野が使ったSIG220拳銃)
「ひぐらしのなく頃に解」第13話「終末」では鷹野三四が率いる山狗が前原圭一達と戦う展開になった。ここで鷹野が使用した拳銃はSIGP220拳銃を日本がライセンス生産した9ミリ拳銃であった。
アメリカから供与されて使い続けていた11.4ミリ拳銃M1911A1「コルトガバメント」の老朽化により後継の拳銃としてスイスのSIGP220が採用された。
部隊配備は1982年(昭和57年)から始まり、あの時点(昭和58年)で鷹野は最新装備を持っていた事になる。
そして、第13話のラストで防護服を着た自衛隊員(山狗か?)が装備していたのはドイツのH&KMP5短機関銃である。形状はサイレンサー付きのタイプのようだ。(MP5SD1~3のどのタイプかは不明)1966年に西ドイツは採用し、1977年のルフトハンザ機ハイジャック事件でドイツ特殊部隊GSG9が装備していた事で有名となった。それから世界各地の警察や軍でも使用される事となった。
それは日本でも同じで警察の銃器対策部や特殊部隊SATが装備し、海自の特別警備隊や陸自の特殊作戦群にも装備されていると言われている。
だが、1983年(昭和58年)の日本では、どうだろうか?1977年(昭和52年)には警視庁と大阪府警にSATの前身である特殊部隊(「特科中隊」と「零中隊」、1980年代初頭にはSAP)が居た事から日本にもあったと考えられる。
自衛隊では陸自の冬季戦技教育隊と言う特殊部隊に準じた部隊があった。けれどもMP5があったかは不明である。
もっとも、山狗自体が非公式な存在であるから陸自が有していない装備をも使えたのだろうと思われる。
(今回はATX実況スレの嬌嫣の紫水晶さんと名無しさんの意見が参考になりました)
(↑第13話のラストで高笑いをする鷹野)
第13話は鷹野役の伊藤美紀さんの演技が良かったです。見事に容赦ない悪役を演じたと言う事で。あの低い声に最近ハマッてしまったよ(笑)
日本陸軍鉄道はシベリア出兵で新たな兵器を目の当たりにした。装甲列車である。
シベリアに対峙する赤軍・白軍・チェコ軍の装甲列車を見た日本陸軍は陸軍技術本部・造兵廠の技術者を現地に派遣して研究させた。
だが、シベリアに展開している部隊には装甲列車が必要だった。シベリアは冬季になると道路や河は雪が積もり、凍てつく為に鉄道だけが部隊唯一の移動できるルートであり、何よりも大事な補給線であった。
これを守る為に広軌牽引車が列車に先行して安全を確認する事になっていたが、危険地帯では列車自体も装甲を張り武装して攻撃から身を守るのも必要だった。
シベリアでは、鉄板・煉瓦・セメントを車両の側面に施して装甲とした。これに火砲を装備して日本陸軍初の装甲列車は生まれた。この装甲列車と広軌牽引車を合わせて日本陸軍は敵の攻撃を受けても対抗できる能力を持った。これにより、輸送と工兵の性格を持つ兵科から戦闘も出来る兵科へと向上したのであった。
1926年(大正15年)には装甲列車を使用して運用方法研究の演習を行い、その有効性を改めて確認した。1928年(昭和6年)の済南事件では演習の成果から南満州鉄道(以後、満鉄と略す)の協力を得て早急に装甲列車を配備する事が出来た。
1931年(昭和6年)からの満州事変では満鉄が自社の車両を改造して6編成の装甲列車を仕立てた。それらの装甲列車や通常の列車は事変拡大と共に満州各地へ部隊を送った。これら列車の運用は多くを陸軍鉄道部隊では無く、満鉄が行い、戦闘で壊れた路線の修復をも満鉄が行った。
(昭和6年末には臨時の関東軍鉄道中隊が編成された)
また、この年には装甲列車同士の戦闘が行われた。満鉄白旗堡付近の北寧線を進む中国軍装甲列車と路線警備の日本装甲列車と遭遇し、戦闘となった。この戦闘で中国軍装甲列車を大破させ、捕獲した。
翌年の昭和7年には鉄道第一連隊が満州に派遣され、ハルビンへの鉄道進撃を行った。
満州事変は日本の南満州鉄道。ソ連の中東(東支)鉄道(帝政ロシアが建設した東清鉄道)に中国が建設した鉄道と、満州は鉄道の利便性が高い地域であった。また、路線付近は満鉄の付属地であった。これを利用して独断で動く関東軍は「路線警備」の名目で部隊を動かす事が出来た。(事変前。日本の租借地である遼東半島を越えて長春まで満鉄は伸びていた。つまり、敵地の中に日本の路線があるために鉄道での進撃が出来た)
関東軍は事変に朝鮮半島を管轄する朝鮮軍を出動させるべく、朝鮮半島と満州を繋ぐ安奉線を確保する事が重要にもなっていた。いわば満州事変は鉄道主体の戦場でもあったと言える。しかし、陸軍中央には極秘で関東軍が独断でした作戦であるから鉄道部隊は主役にはなれず、満鉄が主役となってしまった。
1932年(昭和7年)8月に「臨時装甲列車」、または「軽装甲列車」の開発が決まり。翌年8月には完成した。また、昭和8年から「重装甲列車」の開発も行われ「九四式装甲列車」と呼ばれた。
この2つの装甲列車の違いは
「軽装甲列車」:12輌編成 各種機関銃16丁・13ミリ対空機関砲2門・150ミリ榴弾砲2門・高射砲2門
「九四式装甲列車」:8両編成 各種機関銃10丁・105ミリ榴弾砲2門・高射砲2門
「重装甲列車」として開発された九四式が軽装甲列車より武装も車両も少ない印象を受ける。しかし、九四式は
低コストでの重装甲を備えた列車(軽装甲列車の教訓で重量過多での走行の不備から)として開発された。また、長距離射撃を行わない事から軽装甲列車より威力の劣る105ミリ砲になった。だが、火砲全てを列車の前半分に集中配備した事で軽装甲列車に劣らない強力な火力を有した。それに速度も軽装甲列車の60km/hから65km/hに、電源車を導入した事から通信能力が向上するなど九四式が総合的には軽装甲列車よりも優れていた。
また重装甲を課題にした九四式の装甲は機関車や警戒車で6ミリ・指揮車や砲車・電源車には側面10ミリ・その他6ミリとなっている。(軽装甲列車は機関車で車体外周に10ミリ、その他6ミリ)
結局軽装甲列車は重量の大きさから状態の悪い路線を通りにくく、やがて満州の路線警戒や、対ソ侵攻作戦に必要な装甲列車としても残された。
参考資料
電脳戦闘団
http://blinda.ld.infoseek.co.jp/vkg_000.html
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)の「臨時装甲列車」・「九四式装甲列車」の項より
歴史群像2006年10月号「満州電撃戦 関東軍北方快進撃の秘策」
その他、(1)の書籍