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架空戦記小説と軍事の記事を中心にしたブログです
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8月23日。横浜市磯子区のIHIマリンユナイテッド工場で海上自衛隊の新たな護衛艦「ひゅうが」が進水した。
「ひゅうが」は今までの護衛艦とは違う艦だ。何故ならそれはヘリ空母だからだ。
ヘリ11機を搭載可能で3機を同時に発着可能な能力を持つ。
この海自初の空母となった「ひゅうが」。それまでの動きは長かった。

海自創隊の頃から対潜水艦戦の為に空母が必要と主張し、アメリカから「コメンスメント・ベイ」級護衛空母を供与して貰う計画があった。だが、アメリカからの供与が得られず実現しなかった。それでも海自は空母保有を望み、昭和34年には海上幕僚監部は技術研究所(現、技術研究本部)に対潜ヘリ18機搭載の1万トン級のヘリ空母の研究開発を命じた。
そして昭和37年~41年度の第2次防衛力整備計画の中に研究したヘリ空母の建造予算を得ようとしたが、防衛庁内局・大蔵省などから「時期尚早」として却下された。自衛隊への風当たりが強い当時では空母の保有が認められなかったのだ。昭和42年~46年度の第3次防衛力整備計画でヘリ空母の予算を今度こそ獲得しよとしたが叶わなかった。
海自はヘリ空母からヘリ3機を搭載する「はるな」級と「しらね」級護衛艦を建造した。世界でも珍しい駆逐艦クラスの艦にヘリを3機も搭載するもので、ヘリ空母計画を縮小した形となった。
ここまでのヘリ空母保有への執念は護衛艦隊の対潜航空部隊を持たせる事が第一であった。基地からP-2JやP3C哨戒機を待つよりは艦隊自前の航空戦力を持つ方がより有利な作戦が出来るからだ。
また、邪推な見方からすれば空母保有により旧海軍の栄光を蘇らせるのか?とも思えるし、単純に外洋作戦での能力を高める為とも言えるかもしれない。
艦の構造で言えば輸送艦「おおすみ」級で島型艦橋に全通甲板を備えた空母の形を習得し、今回の「ひゅうが」に至ったと言える。この長く模索をした年月を経て海自は空母を持つに至った。

さて、ヘリ空母「ひゅうが」の考えられる運用は何だろう?
まずは1個護衛隊群の旗艦となり、対潜能力向上の戦力となるだろう。だが、まず真価が見れる機会は災害派遣で被災地に救出や物資の輸送を行うヘリの海上基地としての役割だろう。これはスマトラ沖地震の救援で輸送艦「くにさき」が陸自のヘリを搭載して経験があるから可能だ。また、その経験から海外での邦人救出の海上基地として機能する可能性もある。
何にせよ戦後日本が初めて持つ異種の艦を上手く運用出来る事を納税者の1人として願うばかりだ。
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2chの実況仲間であるプリムラ氏からの情報で陸上自衛隊の73式装甲車が鉄道で移動中だという情報が入った。
内容は
73式装甲車6両を貨車3両に乗せて輸送しているらしい。発着は九州からで北海道の新富士が目的地。装甲車は第8戦車大隊本部管理中隊。
これらの情報だと毎年行われる北方機動演習であると思われる。部隊はは九州南部を管轄する第8師団。
だが、ここで注目したいのは鉄道が使われた事だ。
毎年の演習では陸路、車輌で移動するか。チャーターしたフェリーか、海自の輸送艦で北海道に向かう。(そのおかげで陸自の車輌や兵器の扱いに津軽海峡のフェリー会社は慣れたと言う)
軍事においては鉄道での移動は当たり前だが、自衛隊では珍しい部類に入る。過去には無かった訳では無いが、国鉄時代でも労働組合の指示で陸自の輸送を妨害や拒否をする可能性が高かったからだ。
その為に昔は自前の機関車を用意して「もしも」に備えていた。
現在では民営化もあって、JRが拒否すれば強制は出来ない法体制が近年まであり鉄道での自衛隊関連の輸送はあまり行われなかった。(現在では民間も要請があれば協力する法体制にはある)
(2000年には東京都のビックレスキュー東京2000で地下鉄を利用して陸自隊員が移動したがこれは石原都知事の手腕による所が大きいのだろう)
それを考えれば珍しい出来事であり、自衛隊も全国の交通機関を利用して備えられる事になるのだろう。

今日。広島湾で海上自衛隊の特殊部隊「特別警備隊」(略して特警隊・SBU)の訓練がマスコミに公開された。
訓練では不審船に見立てた艦艇へ、ヘリとボートで特警隊が向かい、乗り込んで制圧するまでが公開された。
夕方の地元のニュースで見ると特警隊の隊員は紺の上下の上に黒いベストを着込み。カメラかライトを付けた黒いヘルメットを装着している。武装は89式小銃で、陸自の第1空挺団や戦車隊員が使う銃床が折れるタイプが使われていた。
動作も援護出来るように前を進む隊員の背後にいる隊員が小銃を進行方向に向けたり、丸く姿勢が低いながらも集団で船内に進入すると言った動きの慣れが見れた。

海自の特別警備隊は1993年の能登半島沖不審船事件で不審船を取り逃した教訓から創設に至ったと言われる。この事件では一時停船した不審船に追跡した護衛艦の隊員が銃で武装して臨検しようとしtりた。これは実行前に不審船が逃走を再開した為に行われなかったが、実際には銃や白兵戦に慣れない護衛艦の隊員が不審船に乗り込めたかは大きな疑問だ。2001年の奄美沖不審船事件で海保の巡視船に不審船からAK47小銃や機関銃の銃撃を浴びせた事からも「慣れない隊員」が武装しているであろう船を臨検は出来ない。
そこから海自は2001年に特別警備隊を創設した。
特警隊はアメリカ海軍の特殊部隊SEALSに訓練を依頼したが、スケジュールの関係でイギリス海軍の特殊部隊SBSで特警隊はスペシャリストとしての基礎訓練を施された。
特警隊は約70名の3個小隊小隊からなる部隊で海自の第1術科学校のある江田島を基地にしている。機密のベールに包まれているとはいえ、船舶が行き交い、牡蠣の養殖場がすぐそこにある広島湾では地元民に訓練を度々目撃されるらしい。だが、それでも陸自の特殊作戦群と並ぶ秘密の部隊として姿すら分かりづらい存在ではあった。それが今回マスコミの前に現れ鍛えた技量を見せた事は、守られる者としては頼もしい限りであるし、軍オタの俺としては期待を裏切らない姿であった。

中国新聞(動画あり)
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200706280376.html
RCC(中国放送)のニュース動画
http://news.rcc.ne.jp/rccnews/data/3374_L.asx

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