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架空戦記小説と軍事の記事を中心にしたブログです
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(画像は選挙関連という事でw)

今回の選挙で俺は広島県選出を民主党に。比例区は維新政党・新風に入れた。
広島選挙区では自民・民主両方が当選したが民主党の佐藤氏に57万票、自民党の溝手氏で39万票近くと大きな開きのある結果になった。
これは今回の選挙の結果がそうで、参議院では民主党が第1党になる逆転劇となった。これからの問題は11月に期限が切れる「テロ特措法」の改正案をどうするかだ。インド洋で活動する海自の法的根拠であるこの法を仮に参議院の審議放棄で衆議院に差し戻される60日まで放置したら海自は何かの政府解釈でもしないとインド洋から撤退する事になる。そうなるとアメリカは日本との関係を再考する事になると思う。やはり少しでも「簡単にはいかない」とアメリカに思わせる事は必要だろう。
参議院の民主党には少し期待してますよ。けど、自民が民主と連合(法案成立だけの)する可能性もあるから過大な期待もできないな

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本人は悪気は無いのだが、一言が思いがけず大きなショックを受けるものだ。
それを感じたのが昨日の晩。
「寂しいのはわかるが・・・」の一文が頭を叩かれたようなショックを受け、気持ちは一気に落ち込み
沸き上がる悲しさに涙が出てしまった。姉が側に居なくて良かったと本当に思う。
少し時間が過ぎても落ち着かない気分で、それは寝るまで続いた。
つくづく。「何故にここまでショックを受けたのか?」を自問した。
寂しい自分を改めて認識させられた事がショックなのか、寂しいと言うのは違うと心が反発したのか
「何故そんな気持ちになったのか?」全然分からない。意味も分からず悲しい気分という複雑な心境
こんな気分は始めてた。
単に精神が今だ未熟なだけなのかもしれない。

 1945年(昭和20年)4月7日。小磯内閣が戦局の悪化と対中和平工作の失敗で総辞職し、代わって鈴木貫太郎予備役海軍大将を総理にした。鈴木内閣が組閣された。
近衛のシナリオではこの鈴木内閣が終戦の為の内閣である。東条・小磯と陸軍の人間が総理で戦争を進めてきた事を考えれば政局の流れが変わったと言える。
東京の政局から目を離せば、東京をはじめとする各主要都市はB29の爆撃を受けて灰燼と化していた。硫黄島は陥落して、沖縄には米軍が上陸して守備隊と激戦を繰り広げ、海軍も戦艦「大和」を失った。もう本土は前線と銃後の境が消えようとしていた。
この危機的状況だったが、鈴木内閣は本土決戦での徹底抗戦を決定するのであった。

この時の終戦工作として近衛は2月14日に天皇に拝謁して
「敗戦は早速必至なりと存候」
と始まる奏上を天皇に申し上げた。内容は陸軍がソ連と提携する赤化の兆候があると警告した。これは戦争継続の為には陸軍はどんな手段も厭わない偏った思想を持っていると言っていると解釈出来る。近衛はこの強硬な陸軍を人事で粛正しようと考えた。(粛軍後の陸軍の再編には山下奉文大将が適任だとされていた)
しかし、人事の異動は軍内部を様変わりさせる(終戦のために)ものである。これを断行する為には「もう一度戦果を上げなければ難しい」と天皇は発言した。敵に一矢報いて納得して貰った後でないと軍部は人事の問題には応じないのでは無いかと考えたのであった。
下手に触れれば破裂する軍部と言う風船に天皇も近衛も決定的な抑えを何処でするか悩んでいた。

その一方で対外的な終戦工作も行われた。

先に述べた小磯内閣の対中和平工作は重慶の国民党政府の代表だとする繆斌(みゅうひん)を通じて対中和平を行うとしたが、小磯内閣では激しい反発を起こした。けれども総理の小磯だけが乗り気で繆斌を日本に呼ぶまでしたが閣僚が動かねばどうにもならない。結局はこれが小磯を失脚させる事となる。
 スイスでは、藤村一義海軍中佐(スイス駐在海軍武官)が反ナチのドイツ人のフリードリヒ・ハックを通じてアメリカの諜報機関OSSのアレン・ダレスと終戦に向けた工作を行った。(藤村工作)
しかし、藤村が海軍省に報告を上げても「敵の謀略の可能性あり」「本件を外務省に一任」と海軍を通じて政策に反映させる事は出来なかった。
同じ頃、スウェーデンでは陸軍の小野寺信大佐が親日家のプリンス・カールを通してスウェーデン国王に働きかけてイギリス国王へ日本の皇室に終戦の斡旋をしてもらう工作を日本へは秘密で行った。(小野寺工作)
しかし、この工作は日本の陸軍上層部の知る所となる。6月に陸軍参謀総長梅津美治郎大将から「中央の方針に反し和平工作をするものある情報あり」と電報が小野寺に渡る。陸軍は小野寺に「余計な行動は行うな」と釘を刺したのだ。
情報を漏らしたのはスウェーデン公使の岡本季正であった。彼は外務省に小野寺の行動を報告し、それが陸軍の知る所となる。
この2つの工作は英米への窓口を開くものであったが、日本政府はソ連の仲介で終戦に向かう方針を決めていた。7月には近衛を特使にソ連へ派遣する事が決まる。この対ソ交渉へ政府は外交を一本化した。これが2つの交渉を中断させる事となる。
また、終戦と言う事業を口に出す事が海軍にしろ陸軍にしろ外務省にしろ難しい事でもあったと言える。小野寺の例を見ても思わぬ形で情報が漏れ(日本の暗号はアメリカに解読されていたが)せっかくの工作も崩れかねない事になる。

だが、その対ソ交渉も1945年2月のヤルタ会談でソ連の指導者スターリンが対日参戦の約束をアメリカのルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相に約束していた。日本はそれを知ってかしらずか日ソ不可侵条約の延長をソ連が参戦する直前に申し入れるのである。
これを見れば日本政府は愚かな行動に出たと見える。けれども資本主義のアメリカやイギリスから見れば日本が社会主義陣営に近づくと言う戦後世界を見据えていた両国から見れば「見逃せない」状況を作りだして交渉に引き込もうとしたのかも知れない。
けれども、対外交渉が政府・陸軍・海軍・外務省とで統一して行われなかった事が窓口を有効利用できない原因になったのは間違いない。その理由は陸軍による実力行使を伴う抵抗が現実に考えられたからであった。

今日。原爆投下に関する発言で久間防衛大臣が辞任した。
先月30日に発言した内容を要約すると
「原爆投下で戦争終結でき、ソ連に北海道を占領されずに済んだ。だから、原爆投下はしょうがないと頭の中では整理している」
俺が広島県人である事もあるが、今回の発言は納得できない。歴史にIFは無いと言うけれども原爆投下が無くても戦争終結はあり得たのでは?と俺は考えている。
今回は日本がどのように戦争終結に向かった。再検証して原爆投下は戦争終結に必要か否かを考えたい。

日本が終戦へと水面下で動いたのは東条英機内閣が倒れた時(昭和19年7月18日)からで、東条政権打倒に暗躍していた岡田啓介海軍大将や近衛文麿などの人物が新たな段階としていかに終戦へと持ち込むか具体的に考え始めた。
近衛文麿は東条内閣の後継は短命内閣にし、次の内閣で戦争終結にするシナリオを描いていた。
だが、内閣作りだけが終戦への構想では無かった。
「海軍の損害がどれ位か自分にも分からぬが、いろいろ総合して考えると、最後の決戦はもういっぺんやれるんじゃないかと思う(中略)それをやれば国民も諦める。今すぐ和平をやるのはどうか」
(昭和19年7月2日に岡田が近衛に語る)
「(米英)彼らの目的は日独の戦争力を剰す所なく撃破して、再び第一次欧州戦争の轍を踏まざらんとするにあり。故に余力あるを頼みて(和平の)条件の緩和を図らんとするは甘き考えなり」
(「近衛日記」より)
「中間的内閣(この場合は小磯内閣)が対内政策上、即時停戦不可能と認むる時は連合艦隊を出動せしめて、最後の決戦をおこなわむべし」
(「近衛日記」7月2日)
終戦工作の中心人物である2人は残る戦力を無くしてから終戦への動きを本格化させる考えであった。到底「決戦」が出来ると考えられないまでに完膚無きまでに敗れてからで無ければ軍も国民も納得しての戦争終結は無いと考えていた。
近衛のシナリオである日本の戦力を壊滅(いや、自滅か・・・)を行うのが東条内閣に次いで誕生した小磯国昭陸軍大将の内閣である。
この内閣の期間中に米軍はフィリピンにレイテ島に侵攻。日本海軍連合艦隊は戦艦「武蔵」など主力艦艇の多くを失い米海軍と正面から戦える戦力を失った。航空隊の戦果は乏しく、特攻という最終手段にまで実行した。
近衛の意に沿う形で軍(特に海軍)は戦力を失っていた。
そして次は小磯内閣を潰して戦争の幕引きを行う内閣を作り、どのタイミングで終戦とするかであった。

2chの実況仲間であるプリムラ氏からの情報で陸上自衛隊の73式装甲車が鉄道で移動中だという情報が入った。
内容は
73式装甲車6両を貨車3両に乗せて輸送しているらしい。発着は九州からで北海道の新富士が目的地。装甲車は第8戦車大隊本部管理中隊。
これらの情報だと毎年行われる北方機動演習であると思われる。部隊はは九州南部を管轄する第8師団。
だが、ここで注目したいのは鉄道が使われた事だ。
毎年の演習では陸路、車輌で移動するか。チャーターしたフェリーか、海自の輸送艦で北海道に向かう。(そのおかげで陸自の車輌や兵器の扱いに津軽海峡のフェリー会社は慣れたと言う)
軍事においては鉄道での移動は当たり前だが、自衛隊では珍しい部類に入る。過去には無かった訳では無いが、国鉄時代でも労働組合の指示で陸自の輸送を妨害や拒否をする可能性が高かったからだ。
その為に昔は自前の機関車を用意して「もしも」に備えていた。
現在では民営化もあって、JRが拒否すれば強制は出来ない法体制が近年まであり鉄道での自衛隊関連の輸送はあまり行われなかった。(現在では民間も要請があれば協力する法体制にはある)
(2000年には東京都のビックレスキュー東京2000で地下鉄を利用して陸自隊員が移動したがこれは石原都知事の手腕による所が大きいのだろう)
それを考えれば珍しい出来事であり、自衛隊も全国の交通機関を利用して備えられる事になるのだろう。

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某掲示板では呉護衛艦隊または呉陸戦隊とも名乗る戦車と眼鏡っ娘が好きな物書きモドキ
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