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架空戦記小説と軍事の記事を中心にしたブログです
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今日の午前に横須賀の米軍基地に空母「ジョージ・ワシントン」(CVN-73)が入港した。
これにより、アメリカ第7艦隊の空母が退役する「キティ・ホーク」から「ジョージ・ワシントン」に代わり、その空母打撃群が中核戦力となる。
この「ジョージ・ワシントン」は日本に配備される初の原子力空母である。これで反対の運動が起こっている。
これを見て思うのだが、原子力艦がダメなら日本から予算を出して通常動力の空母をアメリカに作らせれば良いのか?と思う。
だが、抗議する人の意見は「原子力空母は来るな!」の一辺倒で対案が無い。
けれども反対する意見も分からないでもない。
7月には日本に寄港した事がある米原潜「ヒューストン」から2年も微量の放射能を含んだ冷却水が漏れていた事が定期点検で判明し、アメリカ海軍から「ヒューストン」が寄港した関係国に通告した。
また、5月には「ジョージ・ワシントン」で火災が発生。80区画に被害が出て15組の消防チームが5時間かけて消火した。
この火災の原因は乗組員の違法な喫煙(喫煙が許可されて無い区画で吸った為)と可燃物の貯蔵(冷却用のコンプレッサーのオイルが90ガロンも不適切な場所に置いてあった)であるとされる。
この火災は火災当時の艦長であるディビット・ダイコフ大佐をして「今回の火災は私が経験した艦内火災として最悪のものだった」と言わしめた。
この火災の責任でダイコフ艦長と副長も解任された。その後任はJ・R・ヘイリー大佐が着任した。
2つの事件は最近の米兵関連事件でナーバスになっている日本の市民団体を更に刺激する事となった。
自分もだが米軍のモラル低下は大きな不安材料だ。この先、モラルの低下で起きた事故か事件が日本に災いをもたらす可能性も無くは無い。これは米軍の自助努力に期待するしか無いが・・・。
火災で「ジョージ・ワシントン」と「キティ・ホーク」のスケジュールは大きく変わった。「ジョージ・ワシントン」は火災での損傷を修理すべく8月下旬まで修理し、横須賀入港が今日まで延びた。これに伴って「キティ・ホーク」が「ジョージ・ワシントン」に代わってリムパック演習に参加。
また、「「ロナルド・レーガン」空母打撃群が空母の無い東アジアの空白を埋める為に西太平洋に派遣された。
一部の乗員が起こした火災が修理費7000万ドル以上の乱れをアメリカ海軍に及ばした。
とはいえ、この空母が日本や東アジアの安全保障に欠かせない力になっている事は確かだ。
あの空母に代わる軍事力を日本が持たない限りは横須賀が米空母の母港であり続けるだろう。

参考資料
「軍事研究」2008年9月号と10月号の石川巌氏の記事
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(↑自民党総裁選で麻生氏が当選して喜ぶ秋葉原の様子)

予想通りだが自民党総裁選で麻生太郎が勝利し、今日は総理大臣となった。
ニュースで見ると何とも久しぶりに貫禄ある人物が総理になったものだと思う。
今まで自分は麻生さんは支える立場のNo2の立場が相応しいかと思っていたが総理に就任して会見する態度はどっしりとしている。安倍や福田にないものだ。
内閣の方針では「明るく強い日本」といういまいちイメージが掴めない事を標榜したが、「官僚を使いこなす」という考えを公言するのは良いことだろう。
しかし、まだ始まって1日目。まずは民主党との決戦になる衆議院選挙が目前である。それに買って麻生内閣を続けられるかの命脈がかかっているが、臨時国会で補正予算の議決が出来るかどうかも目前の問題でもあるし、インド洋での海自による給油継続問題もある。
麻生内閣としての独自の政策ははハードルの高い障害を越えてから、来年からになりそうだ。
果たして1年後。麻生内閣は続いているのか?続いていても支持はあるのか?色んな意味で期待は大きい。

にしても、ハマコーの息子が防衛大臣とはなあ

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「皆さまお久しぶりです。小笠原家家臣である福沢祐巳です」







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「自己紹介はいいわ祐巳。話を続けましょう。なんだって半年も進んでない
 のだから」







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「そうですねお姉様。あ、いやお館様。
 島津と結んだ我が小笠原家は九州を制覇して新たな進路を決めようとしていました」






1566年(永禄9年)1月に筑前平定を以て九州を制覇した小笠原家。祥子は次の目標を思案していた。

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「決めたわ。周防に攻めるわ」









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「四国はどうしましか?同盟を結んで安全を図りますか?」






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「四国は島津にあげるわ。それと祐巳。周防攻めについてだけど
 拠点となる城を下関に城を築いてちょうだい」







3月に下関で祐巳を奉行に支城の建設が始まる。だが・・・

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「祐巳。ごめんさない、高嶺城を落としたからもう城はいらないわ」









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「えええ~!」






11月に開門海峡を渡り周防へ上陸した小笠原軍。祥子の憂いは杞憂に終わり浦上家の高嶺城は一度の総攻めで落とした。これにより中国地方での足掛かりを得た小笠原家はもう下関に城を作る必要は無くなったのである。
周防に進んだ小笠原家は中国地方の有力大名である毛利家と戦う事となった。
1567年(永禄10年)2月の出雲の福光城攻めを皮切りに毛利との戦いを開始した小笠原軍。安芸の毛利元就の居城である郡山城も落とし、毛利が尼子家より奪取した難攻の月山富田城をもたちまち攻め落とした。
この月山富田城攻めでは小笠原軍は初めて1万もの軍勢を揃える陣容になっていた。
だが、その月山富田城攻め(永禄11年4月)より前に祥子にとって屈辱の出来事が起きていた。

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「まったくあの、公家達たらなんなの!」








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「京から帰るなり不機嫌ですね」







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「官位を貰うには早過ぎる。身の程を知れだそうよ。まったく幾ら金銭を与えて
やったと思っているのかしら!」





永禄10年11月。冬の京へ上洛した祥子は官位を賜ろうとしたが、朝廷より無下に断られてしまったのだ。
また、6月には家臣の丸目長恵が吉弘鑑理野に剣術を教えて野に下り祥子にとっては災難が続く下半期となった。

だが、戦略的には好調である祥子は永禄11年7月に毛利家最後の拠点である因幡の鳥取城攻略で毛利家を滅ぼした。
この滅亡は悲劇を生んだ。毛利元就は祥子の家臣となったが息子の毛利隆元と吉川元春・小早川隆景は小笠原家の臣下になる事を拒み因幡の此隅城で抵抗を続けた。
これに毛利元就が率いる軍勢で攻めて落城させた。総攻め前や落城後には元就の説得が行われたが3人の意志を変える事は出来なかった。
吉川元春は島津家に。毛利隆元は本願寺へと奔ったと言う。
これを後に「三本の矢が折れた時」と言われる毛利家の悲劇である。

この毛利の滅亡で中国地方の半分を手に入れた祥子。だが、新たな強敵が祥子の行く手を阻む。
近江を除く近畿一帯を制し朝廷に絶大な影響力を持つ本願寺である。
ブッシュの次にアメリカ大統領になろうと名乗りを上げる民主党のオバマと共和党のマケイン。
さて、マケインってどんな人なんだろう?
民主党代表選挙のオバマとヒラリーの戦いばかりがクローズアップされて影が薄かったし、今でも副大統領候補のペイリンが日本の報道では注目されてマケインがどんな人か政策にどんな考えの人なのかさっぱりである。
日本にとっても世界にとっても重要となる次の大統領かも知れないマケインをニコニコ動画で知る事が出来た。

マケイン名言集
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3047795
マケイン伝説
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3149357
マケイン家の肖像
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4478590

軍人一家でベトナム戦争に従軍し、捕虜となる。それから女に溺れたりするけど政治家として大成する。
なんとも映画化しそうな人物像である。
にしてもマザーテレサに頼まれたと言うマケインの奥さんはどんな人脈なんだろうw

それにしても民主党のリーバーマンがマケイン支持なのが驚きである。やはり黒人が大統領になるのが嫌なのだろうか民主党は?そうなると民主党は党を挙げてオバマ支持では無いという事だが・・・

マケインの考えで一番好感が持てたのが「マケイン名言集」よりのこの言葉。
「戦争の本質を知らない人ほど簡単に戦争が終結できると思っている。戦争は始める時より終わらせる方が難しい。それを知っているからこそ私は増派を私は主張している」
イラク撤退がアメリカの世論を大きく占める中での発言である。この増派意見はマケインの支持を低迷させてしまう事になったが、戦争というものを理解している考えだ。
フセインという鎖が解かれて反米のみならず宗派ごとの対立も現れて混沌とするイラクの始末をするには増派しか無かったのだ。何よりもアメリカ自身が起こした戦争でもあるし簡単に抜け出せる事は出来ない。
それはアメリカがイラクという国に責任を持つことであるとマケインは言っているのだ。
さて、マケインが大統領になったらイラクやアフガンなど中東に対してどう出るかが大いに気になる所だ。
9月1日にいきなり辞任した福田康夫総理大臣。
テレビで速報が入った時には驚いた。「何で今なんだ?」と感じた。
先月に内閣改造をやったばかりで続投するんだと思った矢先の辞任だ。正直意味が分からない。
夜の9時30分から各局中継(あのテレ東でさえ中継!w)始まった福田総理の辞任会見はますます
違和感を感じた。
会見に現れた福田総理はまだ気力は萎えていない様子なのだ。前代の安倍晋三は精神的な病になったようで表情も口調も力が無かった。
だが、福田はそうでは無かった。はきはきとしたいつも通りのしゃべり。けれどもよく表情を見ればなにか鬱憤がありそうに見えた。それは町村官房長官も同じように見えた。
「誰かに総理の座を降りるように言われたのでは?」
と変に勘ぐってしまう。
それほど不自然な辞任なのだ。今回は。
内閣改造から1ヶ月も経たずもあるが、福田康夫の父親は第67代総理大臣の福田赳夫である。
福田赳夫の内閣は昭和51年12月から昭和53年12月まで2年間続いている。対して福田康夫の内閣は昨年9月26日からスタートしたが、1年経たず幕を下ろす事になった。
国会議員一家の息子である福田康夫にとっては父親に及ばす退陣は不本意ではなかろうかと思ってしまう。
また、この退陣を衆議院選挙に備えたものとも見れる。辞任した日には民主党の党首が小沢一郎に決まって政権獲得をほのめかす。
これに自民党の誰かが支持率の低い福田を下ろして新たな総理もとい自民党党首で選挙を戦おうと考えて辞任させられたのでは?と勘ぐってしまうが小沢以外が党首になる可能性は低く、民主党の代表選挙も小沢だけが出馬で決まった。
こうなると小沢党首決定で辞任を即座に決定とは思い難い。辞任するなら洞爺湖サミット終了後か北京五輪開会式参加後に辞任すべきだろうと思うのだが。
まあ、色々書いたけど真実は闇の中だ。
福田内閣だと中国の毒入り冷凍餃子問題に東シナ海ガス田問題も中国に配慮して日本に利益無しで終わった感がある。
けれども公務員制度改革の第一歩とも言える内閣人事庁創設の計画はかなり評価出来る。
まさか、これを恐れた官僚達が・・・・まさかねえ。
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某掲示板では呉護衛艦隊または呉陸戦隊とも名乗る戦車と眼鏡っ娘が好きな物書きモドキ
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